こんにちは、スピリチュアルカウンセラー泉雪恵公式アンバサダーAkemi Ogawaです。
(以下、スピリチュアルカウンセラー泉雪恵さんのことを雪恵さんと書かせていただきます。)
今日は、年間セッションを受けて、気づいたこと感じたこと学んだことを書いてみたいと思います。
雪恵さんのセッションに興味を持たれるということは、スピリチュアルに興味がある、自分が進みたいことの背中を押して欲しい、なんとなくもやっとしているこの思いはなんだろう?占いと違うもっと自分個人へのメッセージが欲しい、等々かなと思います。
【はじめに】
「雪恵さんのセッションやワークなどのメリットは何だろう?」
雪恵さんのセッションは、メッセージを受け取る相手任せ(雪恵さん任せ)ではありません。クライアント自身が、自分に問いかけたり、自分の中から答えを引き出すようなセッションです。自分の知らない自分の一面を引き出してくれる、気づかせてくれるようサポートしてくれます。
誰もがスピリチュアルな能力を持つことを学ぶ場所だと思っています。
自分が本当にやりたいことに気づかせてくれる。そして、歩んで行こう、進もうとしたとき、指示ではなく、サポートを得られる場所だと感じています。
自分がどれだけ自分を縛っているかを学び、自分らしさを取り戻していく学びの場だと思います。
メッセージを受け取っても、簡単に今までの習慣は変わりません、何度も何度も気づきながら修正をしながら少しずつ変化していくと感じています。
本当に少しずつ、固まっていた自分が緩んでいく、そんな感じがしています。
「私がセッションを受ける目的」
娘・妻・母という役割に縛られた人生でなく、私個人の人生を歩んでみたい。
自立したい。
魂のこと、スピリチュアルを学んで、人生を豊かに楽しみたい。
私の目的はとても単純に感じます。
子供の心、自分って何だろう?何ができるだろう?これやってみたい!そんな好奇心を一つずつ紐解いていくことを楽しんでいます。
【サロンミーティングでのできごとより】
この個人セッションの前にサロンミーティングがありました。
サロンミーティングではZOOMを使用していますが、私は参加中に突然ZOOMが落ちてしまい、勝手にアップデートが始まってしまいました。
セッションでは、ネットがつながりにくい時があります。クライアント自身が受けたくない、聞きたくないという状態だとつながりにくい、セッションを受けたいと申し込んでいるのに、自分の中の自分が受けたくないとエネルギーを発していると学んでいます。不思議ですね。
サロンミーティングでは、セッション同様、雪恵さんを通して見えないエネルギー調整が入ります。自分をよい状態に整えるという感じです。自分らしく思考が働くようにするイメージと捉えています。
この地球ではいろいろなエネルギーが行き来、飛び交っていると学んでいます。今回は、そのエネルギーがぶつかって、私はサロンミーティングから少し席を外すことが起こりました。
こんなとき、私は焦ってしまいます。自分自身の状態が良くないのかな?と考えます。そう学んでいます。だから、焦らないように、落ち着いてと言い聞かせ、PCのアップデートを待ち、その間は携帯から参加しました。普段携帯から参加しないため勝手がわからないので、サロンでのお話が聞こえる状態にするでOKにしました。
この体験を通して、エネルギーを整えることを遮ろうとするもののことを学びました。
自分自身も、焦らずできることに取り組むことを体験を通して学びました。
また、本当に私が望んでいるのであれば、見えないサポートが入ると学びました。
【ワーク日程変更について】
12月に予定していたワークに日程調節が入りました。
雪恵さんは、ガーディアン、ハイヤーセルフという見えない世界からのメッセージを受け取り、クライアントを呼ばれる場所へ導くのがお仕事と学んでいますが、今回は「安全に」という面をあらためて学びました。
呼ばれる場所のエネルギー状態だけでなく、クライアントの状態も整っている必要があると学びました。今回は、私は予定していた時期、動かない方がよいとなったそうです。移動、家を離れるにもタイミング、安全な時期があると学びました。
私は以前のワークで、雪恵さんがエネルギー的な問題で体調を崩されたところを見ています。私は人混みに行くと少し体調が悪くなることがあります。今回、予定していたスケジュールでワークをすると体調が悪くなる可能性が高かったということを学びました。それに気づき雪恵さんはスケジュールを調整してくださいました。
エネルギーは見えません。でも、個人個人のエネルギーがどこに存在しているかも大事なのだと学びました。どこにいると安全なのかということも学びました。
【整えることからの気づき】
セッションでは、クライアントが望んだ場合、エネルギー状態を「整える」ことができます。
今回は、整える作業の前に、少し時間を必要としました。
何を整える必要があるのか?
何を今、知る、気づく必要があるのか?
何気ない会話の中から、私は「夢」のことを思い出しました。
「夢」は昔住んでいた家の玄関に誰かが来たというものです。誰かいるけど見えない、でもそこに気配を感じたと雪恵さんにお伝えしました。
その夢から、そこに来た人は誰か、なぜ来たのか?を知ることができました。
今、住んでいる場所に意味があることや、今まで出てこなかった過去世へとつながりました。
そして、それらを知り、過去世を受け入れることで、「整える」作業をすることができました。
過去世は、今までの私には受け入れることができない内容でした。
過去世であって今のことではないのに、今の自分を否定してしまうからです。自分のことはどんなことも少し距離を持って見ることを学び身につけなければ、受け入れること、正しく対応することができないのだと思います。
こんな私もいると受け入れ、そして、どんな私になりたいのかをイメージして目の前のことを選択して生きていくことを学び、やっとそれができるようになったから、出てきた過去世なのだと学びました。
淡々とした気持ちで、過去世をイメージできて、もういらないなと判断できて、自分を整えることができました。
過去世であるのに、幻影の宇宙でつながりがあり、今生に影響を及ぼしていたことを学びました。過去世の記憶を忘れているのに、エネルギーが繋がっているというのはとても不思議です。生まれた時から、ずっと、知らないうちに影響を受けていたと教えていただいたとき、気づけてよかった、過去世を受け入れる状態にまで学んでこれたことに感謝を感じました。
この体験は私にとって、とても大きな喜びでした。
今まで参加したワークで学びを重ね、体験が身についたと感じることができる出来事でした。
自分はこれから何を体験したいのか?
自分がどうなりたいのか?
自分は今、何を選択するのかが大事であること。
選ぶために過去の体験があること。体験があるから選択ができる。
過去間違った選択をしていても、そのときはベストだと思い選択したのかもしれません。
だから、間違った選択をしたことを否定するのではなく、過去のできごととして受け入れるだけでいいのだと感じています。その体験を活かせばいいのだと思います。
【魂の記憶】
私には過去世の記憶はありません。でも今回、過去世の幻影と繋がっているということを教えていただき、切り離し、今の私を整えるということをしました。
記憶がなくても、幻影と繋がっているということを学び、記憶があったら、もっと意識的につながりを強め縛られていたかもしれないとも感じました。反対に過去世の記憶を持ったまま何度も生まれ変わっていたら、過去世を上手に手放していたのかもしれません。
どちらにしても、過去世の自分は記憶として、情報として扱えるように学びが必要だということを感じました。
過去世があるという学びを経て、人生は一度きり、死んだら終わりでなないという学びでもあったように感じます。魂が今回、この体を使っていろいろな体験をして学んでいるのだということの理解を深めることができたと思いました。
だから、今、やりたいと思うことは、この体を通してしかできないことなのかもしれません。次に生まれかわったときは、今の世界とは異なる世界かもしれません。
今、自分の頭の中に詰め込まれている当たり前から考えると、何を言っている?不安や心配、恐れが浮かびあがります。
でも、本当にこの体を使ってやりたいと思うことなら、見えない世界からサポートが入るとも学んでいます。何を信じるかは個人の自由。
私は、この体を使って、思い浮かぶやりたいことがやり遂げられうように、身体を大切に扱い生きてみたいと思いました。
【雪恵さんのセッションやワークの学びの魅力】
子供の頃から見てきた世界、大人になって結婚して子供を産んでおばあちゃんになって縁側でお茶お飲むは誰が決めた人生なのか?誰が良い人生と植え付けたかったのか?
子供の時思い描いた夢は、自分の叶えたい夢、自分の歩みたい人生だと気づくことができました。
人はこの人生で終わらない、魂は生き続けると学んでいます。
過去世があるとは、過去からずっと自分は生きているということです。
魂はずっと生き続ける、ただ、この体が生まれ変わっていろんな人生を歩み体験を重ね、魂が学んでいるんだとやっと理解できたように感じました。
雪恵さんから学ぶことは、1度や2度で簡単に解決できないものがあります。
時間がかかるものほど、学びたかったことなのではないかと感じています。
その間にはたくさんの感情と向き合う必要があります。やめたくなることもあります。
でも続けたいと思うのは、魂が学ぶことを望んでいるからなのではないでしょうか?
この体は学びたいことを学ぶために生かされていると思うと、生きている間は学びが続くということです。
「えー」と感じてしまうかもしれません。
でも、学ぶこと、変化していくことを楽しいと切り替わるときが来るのかもしれません。
テレビを見て、ぼーっと、年を重ねていくよりも、私はきっと楽しいと思います。
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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